アジア布通信

月1回お送りしている、アジアの布をテーマにしたメールマガジン”アジア布通信”を
再編集したページです

カンボジアの布
〜アジア布通信 第9号 より〜

1995年より、
戦火のようやく収まったカンボジアの地で、
”クメール伝統織物研究所”を設立し、
失われた伝統染織の復興に尽力なさっている
森本喜久男さんから、
カンボジアの布について
寄稿していただきました。   

    

 

 

カンボジアの伝統染織              
クメール伝統織物研究所 森本喜久男


最近の日本では、タイシルクについてはよく知られるようになった。    
しかし、カンボジアシルク、というと、エそんなのがあったの、
というほどに、あまり知られていないのが、実情。

ごく最近、タイのバンコクで東南アジアの染織にかかわる人たちのセミナーが催された。
有名なジムトンプソンの財団が後援したもの。
そのなかで、あらためて浮き彫りにされたことは、
この地域の織物が相互に入り組んで、重なり合いながら存在していることであった。
ミャンマー、タイ、ラオス、カンボジア、ベトナム、
マレイシア、シンガポール、インドネシア、ブルネイ。
それぞれの参加者は、おもには博物館や大学の研究者か文化省の担当者。
自国にある伝統織物のスライドの紹介がつづくと、とくにその関係は明らかだった。

わたしは、カンボジアからであったが、
じつはカンボジアにあるチャム族の織物の報告を依頼された。
チャム族、16世紀まで現在の中部ベトナムに栄えたチャンパ王国の末裔の人たち。
で、カンボジアをはじめ 東南アジアの各国に自国が滅びたあと飛散、
現在もそれぞれの地域で伝統の織物を続けている。
第二次大戦の後、タイに上陸した連合軍の将校であったアメリカ人 ジムトンプソンが、
タイの伝統織物にひかれ、 シルクを手がけていくときに、そのパートナーとして、布を織った人々。
は、バンコクに暮らすチャムの人たちであったことは以外と知られていない。

カンボジアにある伝統織物は、その地域と織り手で、
大きくクメール人とチャム人、そして山の人たち、に分けることができる。
そこで織られている布は、サンポットホールと呼ばれているよこ糸絣。
絣には、身にまとうものではなく、宗教的な目的で作られたピダンと呼ばれる絵絣もある。
これが、カンボジアを代表する布といえる。

戦乱の中で、ほぼ消えかけていたカンボジアの伝統染織も
1990年代の平和の訪れとともに、徐々に復活してきている。
過去には200以上の伝統の絣模様が在ったといわれるが、その復元は難しい。
そして、戦乱の混乱に乗じて多くの優れた布は海外に飛散した。
世界の著名な博物館や美術館には
必ずそのコレクションにカンボジアの繊細な絣があるといわれている。
そして、パムアンと呼ばれるシルクの紋織りの布がある。
裾柄、総柄、飛び柄。金糸、銀糸、色糸。によって、それぞれ異なった名称がつけられている。
とくに、パムアンと呼ばれる基本の布は、
たて糸とよこ糸を反対色で織ることにより独特な玉虫効果を生み出している。
代表的な配色は、クメール語でコーティアと呼ばれる、アヒルの首筋の色。
緑と紫の独特なハレーションが美しい。
もう一つのグループは庶民の布といえる。
シルクのものもあるが、木綿を中心にした布。
これには、クローマと呼ばれる、万能タオルのような役割のチエックの布が有名。
水浴びのとき、小さな物を包む、こどもをいれる、頭に被る。
ほんとうに多用な使われかたがある。
そして、サローンと呼ばれる、やはり格子柄の布。
これは広幅で、おもに腰に巻く。 それ以外に、白い布がある。
また、蚊帳やブランケットも手で織られていたが、最近では消えてしまった。
産地は、絣はプノンペンの南、タケオ県。
メコン川を200キロほど遡上した、コンポンチャム県ととなりのプレイベン県。
紋織りはプノンペンの周辺。そして、庶民の布は、以前はカンボジア中で織られていた。

しかし、戦乱の中で、その伝統は消えてしまった地域が多い。
綿糸、生糸ともに1970年の戦乱が始まるまでは、生産されていた。
とくに、シルク、養蚕については、 過去にカンボジアは
この東南アジアの中でも優れた生糸の産地であった。
フランスの植民地時代、カンボジアからヨーロッパに向け輸出されていた。
伝統的に生産されていたものは、熱帯の黄色い繭を産する蚕。とうぜん生糸も黄色い。
綿糸は現在ではほとんど生産されなくなった。

染色には自然の色が利用されていた、が他の国と同様現在では化学染料が主流。
自然染色の基本の色、赤はラック介殻虫の巣を利用。
以前には盛んに飼育されていたようだが、現在ではほとんど見かけられなくなった。
そして、黄色は沖縄の福木とおなじオトギリソウ科のブローフーと呼ばれる木の表皮。
そして、藍。藍は、以前は村に藍染め屋さんがあったようで、盛んに使われていた。
種類はインド藍、山では琉球藍が使われていた。建て方は、沖縄の泥藍とまったくおなじ。
藍屋さんが泥藍を素焼きの壷にいれ出荷していたようだ。
それ以外で代表的な染材は黒。
マックルアーと呼ばれる黒檀系の木の実。これは常温染で染められていた。
カンボジアの農民はベトナムと同様その農民服はマックルアーで染めた黒が基本。
しかし、ポルポト時代、すべての人が黒い服を着せられていたため、
その反動かいまでは黒い農民服を着る人は少ない。

わたしたち、クメール伝統織物研究所では戦乱で途絶えた、
伝統の織物の復活と活性化を願い活動を1995年から始めた。
そして、この5年間の活動の中で、伝統的な熱帯種による養蚕の村での再開を手始めに、
自然染色の復活と、すこしづつその成果も見えるようになってきた。
なによりも、人々の平和な生活があってはじめてなしえること。
と、この数年、ほんとうの平和の訪れにより実感している。


2000年8月15日 (c)Kikuo Morimoto        

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今回、レポートを寄せていただいた森本さんのページ。
カンボジアの現地情報もいっぱいです。      

        

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